埼玉教職員組合
(日教組埼玉)

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歴史の真実から目をそむけてはならない
  関東大震災・朝鮮人虐殺フィールドワーク



 8月11日、埼玉人権教育研究協議会、埼玉教組、埼玉高教組の協力で、関東大震災・朝鮮人虐殺フィールドワークが実施されました。熊谷駅前から、マイクロバスや乗用車に組合員等30名が分乗、関東大震災直後、連行されてきた朝鮮人が歩いた旧中山道、暴行を受け、数十人が殺害された場所、また、深谷市、本庄市内の慰霊碑をめぐりました。それぞれの場所で、講師の専門家が丁寧にお話しくださり、参加者は歴史の事実に立ち向かい、歴史の真実を学ぶことの大切さ、そして、それらを現代に生かすことの重要性を再認識しました。


 


狭山事件「差別と人権のフィールドワーク」に参加


 6月23日(土)埼玉人権教育研究協議会主催のフィールドワーク(「狭山事件に関する現地調査」)が実施されました。
 午前中、石川さん本人から話を聞きました。その話の中で、石川さんが字が書けない状態であったにもかかわらず、無理やり書かされた脅迫状と同様の文章と、犯人の筆跡が違うとことにふれ、えん罪であることの一つの証拠であることを力説されました。
 また、石川さんの担当看守が、石川さんとの会話の中でえん罪であることを知り、文章が書けるようにと熱心に指導していたこと、また、その際、看守の妻が文字が書けるよう定期的に便せんや鉛筆を差し入れしていたことなども知りました。
 午後は、狭山駅から犯人とされた石川さんの行動をたどりました。先々で、石川さんが行動したという足取りをたどりながら、石川さんがいなかったことを示すような証言がいくつもあることや、殺害現場とされる場所の付近で作業していた人が、犯行が起こっていないと証言していることなどを知り、えん罪がつくられたことを再確認しました。

 


狭山事件再審を求める市民集会開催


 5月23日、東京・日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める集会」が開かれました。石川一雄さんが不当逮捕され51年がたち、今なおこのえん罪事件が解決していない現状に対し、多くの方々が憤っています。国の姿勢を変えさせたいとの思いから、この集会には、各方面から多くの人々が参加しました。主催者挨拶に続いて、国会議員の挨拶、弁護団の報告と会は続き、石川さん本人と妻の早智子さんの力強い再審請求に向けたアピールがありました。

 


狭山事件の再審を実現させよう
  浦和地裁死刑判決50年糾弾!
  狭山第三次再審勝利埼玉集会開催



 3月11日、さいたま市ときわ会館を会場に「浦和地裁死刑判決50年糾弾!狭山第三次再審勝利埼玉集会」が開催されました。開会あいさつ後、主催者を代表して、片岡明幸部落解放同盟埼玉県連委員長が挨拶。木村元埼玉弁護士会会長が連帯の挨拶後、小野寺部落解放同盟埼玉県連書記長が基調報告を行いました。また、今年は、特別報告として袴田事件再審請求人である、巌さんの姉、袴田ひで子さんが目前に迫った再審決定について報告しました。その後、狭山事件再審弁護団主任弁護人の中山武敏弁護士が現段階の報告を行い、さらに石川一雄さん、早智子さんがアピールを行いました。家族から石川ウメ子さんから挨拶後、集会決議を参加者の満場の拍手で採択されました。最後に「狭山差別裁判打ち砕こう」を高らかに歌い、持田埼玉県平和センター議長の「団結頑張ろう」で、閉会しました。

 


証拠開示から再審への扉を開こう!


 2009年12月の東京高裁による開示勧告を受けて、2010年5月13日の三者協議で東京高検は、勧告を受けた8項目のうち5項目について、36点の証拠を開示しました。このことは再審実現にむけた大きな一歩といえます。
 しかし、一方で、裁判所が勧告した8項目のうち、雑木林の血痕検査報告書や雑木林を撮影した8ミリフィルム、未開示の死体写真は「不見当」(見あたらない)と回答しています。当時の実況見分調書には、「自白」で死体を一時隠したという芋穴について、ルミノール反応検査を行った(結果は陰性)と書かれています。被害者の死体の後頭部に傷があり出血があったと考えられることから、現場の血痕を調べるのは当然のことです。第2現場ともいうべき芋穴について血痕検査を行いながら、第1現場である殺害現場についてルミノール反応検査報告書などの捜査書類がないなどということは考えられないことです。東京高検の回答は市民常識からしてもあまりに納得がいかないものです。
 今回の証拠開示を契機に、さらなる証拠の開示がなされなければならないことは、今までの多くの冤罪事件が証明しています。埼玉教組は、まだ明らかにされていない証拠の開示を求めて運動を強化していきます。


 

狭山事件第3次請求で再審の開始を!


 石川一雄さんの不当逮捕から43年目を迎えた5月23日、東京日比谷野外音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会」が開催されました。集会には全国から4000人が参加し、埼玉県からは450人が参加しました。
 集会は、漫画家の石坂啓さんが開会あいさつを行い、主催者を代表して部落解放同盟組坂繁之委員長があいさつしました。組坂委員長は「43年前、石川さんが逮捕されたこの日に、狭山弁護団は新証拠を準備し、満を持して東京高裁に第3次請求を申し立てます。みんなで力強く送り出していきたい」と訴えました。
 石川一雄さんは、「第3次を最後と覚悟を決めて闘い抜く。今後とも皆さんの支援をお願いしたい」と訴えました。妻の早智子さんも「今日から第3次再審の闘いがスタートしました。皆さんの力で逃げている裁判所を追いつめていただきたい」と訴えました。
 弁護団報告では、中山武敏主任弁護人と中北龍太郎弁護団事務局長が第3次請求の概要を報告しました。中山弁護士は、「弁護団は、新たに12人の弁護士が加わって23人体制になり、万全の体制で臨む。新証拠と旧証拠を総合的に判断すれば無罪判決以外にはない」と報告しました。
 その後、第3次再審請求提出に向け東京高裁に向かう弁護団を大きな拍手で送り出しました。
 集会はその後、免田事件と甲山事件の冤罪被害に遭った、免田さんと山田さんからのアピール、市民の会代表の庭山英雄弁護士、ジャーナリストの江森陽弘さん、エリー・カロリン弁護士、新潟地区住民の会事務局長の阿部清利さんらのあいさつが続きました。
 最後に、狭山事件の再審を求める市民の会事務局長である鎌田慧さん(ルポライター)からの提起が行われました。鎌田さんは、「刑事裁判に変動が起きている。布川事件など再審決定が続いている。狭山事件も力をあわせれば必ず勝てる。市民の力で石川さんの無罪を勝ち取ろう」と述べ、新100万人署名のとりくみを提起しました。


 

部落差別が生んだえん罪狭山事件


 いまから42年前の1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状がとどけられるという事件がおきました。警察は身代金を取りにあらわれた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見され、警察の大失敗に世論の非難が集中しました。
 捜査にいきづまった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1カ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取りべ、ウソの自白をさせて、犯人にでっちあげたのです。地域の住民の「あんなことをするのは部落民にちがいない」という差別意識やマスコミの差別報道のなかでえん罪が生み出されてしまったのです。
 一審は死刑判決、二審は無期懲役判決で1977 年に無期懲役判決が確定し、石川さんはただちに再審請求を申し立てました。第一次再審請求はまったく事実調べもなく棄却。1986年8 月に第二次再審請求を東京高裁に申し立てるとともに、すべての証拠の開示と事実調べをおこなうよう東京高裁、東京高検にたいして求めてきました。
 しかし、1999年7月9日、東京高裁の高木裁判長は事実調べも行なわないままに、抜き打ち的に再審請求を棄却しました。この不当な棄却決定に対し、7月12日、弁護団は直ちに東京高裁に異議申立をおこない、現在に至っています。



「見えない手錠」を一日も早くはずしたい!



 24歳で別件逮捕された石川一雄さんは、獄中31年7カ月の獄中生活を余儀無くされ、1994 年12月21日、再審請求中で仮出獄をはたしました。そして、いまも無実を叫びつづけ、再審を求めつづけています。
 石川一雄さんは連れ合いの早智子さんとともに、「わたしの手にかかっている『見えない手錠』を一日も早くはずしたい」と訴えています。
 42年にわたる無実を叫びにこたえて、わたしたち一人ひとりの人権の問題として、狭山事の再審を実現し、差別とえん罪を生み出す社会を変えて行かなければなりません。
 石川さんは、子どものころ差別と貧困の中で、学校に満足に通学することができませんでした。字も満足に書くことができなかった石川さんは、警察にウソの自白を強要され、犯人にでっち上げられたのです。
 私たちは第二の石川さんをつくりださないために、差別のない社会の実現にむけ、同和教育の強化にむけてとりくんでいます。一部に「もう部落差別はなくなった」との声が存在しますが、依然全国には結婚差別や就職差別が存在しています。「部落差別がなくなった」との主張は、差別の現実に目を向けず、差別されている人の痛みや苦しみを理解しないものです。私たちは、学校をはじめあらゆる場所で同和教育を行い、部落差別をはじめとするあらゆる差別をなくすためにとりくみを進めています。
 石川さんの無罪をかちとることは、部落差別をなくしていくための重要な私たちの課題です。すべてのみなさんのご支援を訴えます。

高裁による狭山事件の特別抗告棄却決定に断固抗議する!



 最高裁判所第1小法廷は、今年3月16日付で狭山事件の第2次再審請求における特別抗告申立を棄却する決定をおこないました。
 3月24日に、弁護団は、最高裁に2通の筆跡・筆記能力に関する新証拠と補充書を提出する旨を伝え、調査官との面会も約束していました。また、その翌日の3月25日には、「狭山事件の再審を求める市民の会」が、庭山英雄弁護士、ルポライターの鎌田慧さんらを中心に、全国で集められた事実調べを求める40万人分の署名を提出することを最高裁に伝えていました。こうした弁護団との約束や国民の声をふみにじる、抜き打ち的な棄却決定を認めることはできません
 この間、鎌田慧さんの著書『狭山事件石川一雄、41年目の真実』が多くの人に読まれ、テレビ番組「ザ・スクープスペシャル」でも特集されるなど、マスコミで、えん罪・狭山事件がとりあげられていました。狭山事件の公正な裁判、事実調べ−再審開始を求める世論は広がり、学者・文化人らが呼びかけた新100万人署名も急速に集まり、昨年10月29 日に43 万人分が最高裁に出され、さらに間もなく100万人になろうとしていました。
 今回の棄却決定は、こうした世論の高まりを恐れ、さらに大きくなる前に、棄却決定を強行した司法権力の暴挙といわざるをえません。
 第2次再審請求では、元警察鑑識課員の齋藤保・指紋鑑定士による5 通におよぶ鑑定書が出され、犯人の残した封筒の「少時」記載部分が万年筆で書かれていることや「抹消文字・2条線痕」があることなどを指摘し、犯人が犯行前から万年筆を使用していることが明らかになっていました。しかし、最高裁は、鑑定人尋問などの事実調べをおこなうことなく特別抗告を棄却したのです。「少時」が万年筆で書かれていることや抹消文字の存在、ボールペンと万年筆の2種類の筆記用具が使われていることを指摘していた元警察鑑識課員の齋藤正勝鑑定書、奥田豊鑑定書には棄却決定はまったく触れず、「肉眼で観察したところ『少時』と『様』が別の筆記用具で書かれたと認められない」と勝手に決めつけています。
 部落差別によって教育を奪われた非識字者の実態を十分理解し、石川さんと脅迫状の国語能力の違いを調べるべきだという主張に対しても、棄却決定は識字の視点から出された意見書を無視して、「当時の石川さんには脅迫状は書けた」と一方的に決めつけています。
 狭山事件は部落差別が生んだえん罪です。私たちは、今回の最高裁による特別抗告棄却決定に断固抗議し、狭山事件の再審・石川さんの無罪をかちとるとともに、あらゆる差別撤廃にむけ、たたかいをさらに強めていきます。


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